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クリーガー&シーファーデッカー/オーボエ・バンドのための音楽

◎ヨハン・フィリップ・クリーガー(1649-1725):「楽しい野の音楽」より
   第1部 ヘ長調,第2部 ハ長調,第3部 ヘ長調、トッカータとフーガ

◎ヨハン・クリスティアン・シーファーデッカー(1679-1732):12の音楽協奏曲より
   協奏曲第9番 ト短調,協奏曲第5番 ニ短調,協奏曲第3番 ハ短調


マリアンヌ・リチョアート・プファウ(指揮、バロック・オーボエ)
トゥッテ・シュイッテ(ピリオド楽器アンサンブル)

録音:2011年6月2-5日、ニュルンベルク

クリーガー&シーファーデッカー/オーボエ・バンドのための音楽

価格:

2,190円 (税込)

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GENUIN【ドイツ輸入盤】

ピリオド楽器のオーボエをメインにしたアンサンブル「トゥッテ・シュイッテ」のGENUINレーベルへの録音第3弾。今回は北ドイツのバロック期の作曲家であるヨハン・フィリップ・クリーガー(1649-1725)とヨハン・クリスティアン・シーファーデッカー(1679-1732)の珍しい作品を収録しています。ヨハン・フィリップ・クリーガー(1649-1725)は、ドイツのニュルンベルクの音楽一家(弟ヨハンも高名)に生まれ、コペンハーゲンで学び、バイロイトの宮廷音楽家を務ました。のちに1673年バイロイト伯の許可と援助を得てイタリアに渡り、ヴェネツィアでローゼンミュラーに、ローマでベルバルド・パスクィーニに師事。帰国後はハレ等の宮廷で活躍した後、1680年にヴァイセンフェルス宮廷の楽長に就任、当地の宮廷音楽の水準を最高水準にまで引き上げ、没するまでその地位を守り活躍しました。彼は何といっても2,000曲以上の教会カンタータを書いたことで知られています(その大半は消失)が、優れた器楽作品も多く残しています。
また、ヨハン・クリスティアン・シーファーデッカー(1679?1732)は、ザクセン地方のヴァイセンベルク近郊のトイヒェルンの生まれで、ライプツィヒのトーマス学校、ライプツィヒ大学に学びました。1702年に同郷のラインハルト・カイザーに招かれ、ハンブルクのゲンゼマルクトのオペラハウスのチェンバロ奏者となりました。その2年後シーファーデッカーは、リューベックの聖マリア教会のオルガン奏者であったブクステフーデの弟子となり、その助手となりました。その頃ブクステフーデが聖マリア教会で主宰した演奏会「夕べの音楽(アーベントムジーク)」が大評判となり、1705年12月にリューベックを訪れた若きJ・S・バッハが、ブクステフーデのオルガンに魅せられ、許可された4週間の休暇は16週間にもなってしまったという逸話が残っています。1707年にブクステフーデが亡くなった後、シーファーデッカーはブクステフーデの娘のアンナ・マルガレータと結婚し、後継者として聖マリア教会のオルガニストに就任しました。聖マリア教会の演奏会「夕べの音楽」を受け継いでさらに発展させたシーファーデッカーは、そのために多数の曲を作曲しましたが、現在はほんのわずかしか残っておらず、録音されているものはほとんどありません。
演奏している「トゥッテ・シュイッテ」は、オーボエ奏者マリアンヌ・リチャート・プファウによって結成されたピリオド・アンサンブル。フランス語の団体名ですが、アメリカ・カリフォルニアの団体です。ここでは、3人のオーボエ奏者にファゴット、ヴィオローネ、チェンバロを加えた編成となっており、バロック中期のドイツ音楽らしい重心の低いドッシリとした響きを巧みに再現しています。イタリアの明るい息吹を感じさせる伸びやかなクリーガーの作品は、宮廷音楽家らしい華やかさがあります。対照的に北ドイツの曇り空を思わせる重厚なシーファーデッカーの作品は、J・S・バッハにも通じる生真面目で宗教的な雰囲気がただようのが面白いところです。

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