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「1698年~ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ」

1-4. ゴットフリート・フィンガー(1660-1730):ソナタ イ長調(1687頃)
5-9. アウグスト・キューネル(1645-1700頃):
1つまたは2つのヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のためのソナタまたはパルティータ(1968、カッセル)から 組曲第13番イ短調
10. ゲオルク・ムッファト(1653頃-1704):
「音楽とオルガンの資料」(1690、ザルツブルク)から トッカータ第7番ハ長調
11-17. ヨハネス・シェンク(1660頃-1712):「Tyd en Konst-Oeffeningen」(1688、アムステルダム)から ソナタ第10番ハ長調
18-22. コンラート・ヘフラー(1647頃-1705頃):
「Primitiae Chelicae」(1695、ニュルンベルク)から ソナタ第5番ニ短調
23-25. ディートリヒ・ブクステフーデ(1637-1707):ソナタ ニ長調 BuxWV268


フォーカス・バロック
 ホルガー・ファウスト=ペータース(ヴィオラ・ダ・ガンバ)
 イレン・リル(チェンバロ)

録音:2008年5月13-15日、ケイラ(エストニア)、新使徒教会

「1698年~ヴィオラ・ダ・ガンバとチェンバロ」

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ARS PRODUKTION【ドイツ輸入盤】

フィンガー、キューネル、ムファット、シェンク、ヘフラー、ブクステフーデといったドイツで17-18世紀に活躍したバロック作曲家たちの室内楽作品集です。ヴィオラ・ダ・ガンバといえば、17-18世紀のフランスがメインという印象がありますが、ドイツ圏でもたくさんの作曲家が作品を生み出しており、近年になってようやく日の目が当たってきた印象があります。
ゴットフリート・フィンガー(1660-1730)は、1660年ごろ現在のチェコにあるオロモウツという町に生まれました。最初はクラヴィーア奏者として認められましたが、1682年にはロンドンにわたり、国王ジェームズ2世の宮廷楽団に入りました。その後1701年にプロイセン国王フリードリヒ1世の王妃に雇い入れられてドイツに渡りました。続いてカール・フィリップ選帝侯に「室内楽士」として抱えられ、公に従ってニュルンベルグ、ハイデルベルグ、マンハイムに移りました。ヴィオラ・ダ・ガンバをはじめ、ヴァイオリン、トランペット、ファゴット、リコーダーといった多様な楽器を弾きこなす名手でもあったフィンガーの室内楽曲は、いまでも愛され続けています。
アウグスト・キューネル(1645-1700頃)は、1645年ドイツのデルメンホルストに生まれ、1661年にサックス=ザイツの侯爵の宮廷楽団のヴィオラ・ダ・ガンバ奏者に任命されました。途中勉強のためパリへ渡り、1682年に侯爵が亡くなった後はロンドンに4年間滞在、1686年にはダルムシュタット方伯爵夫人エリーザベト・ドロテアの要請で宮廷楽師長に就任しました。その後、ワイマールの宮廷楽師長を務め、最後にはカッセルの宮廷楽長を務めています。キューネルは当時ヴィオラ・ダ・ガンバの演奏者、作曲家の第一人者として知られていましたが、その作品を聴く機会にはあまり恵まれていません。
ゲオルク・ムファット(1653-1704)は、イギリスとスコットランドに父方の祖先を持ってフランスに生まれ、主にオーストリアで活躍したバロック期の作曲家です。フランスでリュリに師事し、その後ウィーンやプラハに滞在して就職活動を行いましたが、公職を得られないのでザルツブルクに赴き、そこで約10年にわたってザルツブルク大司教の宮廷に仕えました。さらにイタリアを訪ねてパスクィーニにオルガンを師事し、コレッリに会ってイタリア風の華麗なオーケストレーションを身につけました。ムファット自身も「フランスとドイツとイタリアの様式を混合した」と述べているとおり、ヨーロッパ諸国の音楽伝統の交流に大きな役割を果たしたコスモポリタンな作曲家でした。しかし、その音楽は決して優等生的なものではなく、様々なアイデアを盛り込んだ描写的な愉しい作品をたくさん残しています。近年ムファットの作品が見直されつつあり、テレマンと肩を並べるほどの明るい親しみやすさ、そしてヘンデルやコレッリのような華麗なヴィルトォーゾ性が備わったムファットの音楽は、一度聴いてみれば必ず虜になる魅力があります。
ヨハネス・シェンク(1660頃-1712)はバッハの少し前の時代に活躍したバロックの作曲家で、ドイツ系の両親のもと、1660年にアムステルダムに誕生しています。ヴィオラ・ダ・ガンバの名手でもあったシェンクは、10代からオペラのほかにガンバの作品も作曲していました。やがてガンバの腕前が評判となり、ドイツのデュッセルドルフ、プファルツ選帝侯ヨハン・ヴィルヘルム1世のもとに招かれ、宮廷楽団の顧問官に就任、その地で活動を展開しますが、晩年の足取りは分かっていません。シェンクの残された作品は、ヴィオラ・ダ・ガンバのための曲を中心に、オペラや組曲、ソナタなどが僅かに知られるのみです。その作風は、ポリフォニックなスタイルに、ヴェルサイユ風の手法と、微妙な陰翳表現を兼ね備え、ヴィオラ・ダ・ガンバの性能をフルに引き出したもので、近年再評価されつつあります。
コンラート・ヘフラー(1647頃-1705頃)は、ドイツのニュールンベルク生まれの作曲家で、やはり優れたガンバ奏者でもありました。J.F.クリーガーとともに生地でG.シュッツに学び、バイロイトの宮廷を皮切りに1676年からハレの宮廷楽団で活躍しました。クリーガーも翌年オルガニストとしてハレの宮廷に入り3年後には楽長に就任しています。

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